はじめに

アジアモンスーンおよびその上層の高気圧の大気化学における役割に関する研究は、国際的な組織による協力のもとで行われています。 世界気候研究計画(WCRP)の下部組織SPARCおよび国際地球大気化学プロジェクト(IGAC)の活動の一つであるAtmospheric Chemistry and the Asian Monsoon(ACAM)が、この分野の研究の相互協力の場となっています。

アジアモンスーンと圏界面の高気圧

アジアモンスーン高気圧は北半球の夏季に、上空の対流圏界面付近に形成される惑星規模の高気圧である。平均的な大きさは経度方向に約10000km、緯度方向に約3000kmにわたる。 西は中東や北アフリカ、東は日本付近までユーラシア大陸の中緯度全体にわたって影響を及ぼす、非常に大きな現象である。
この高気圧には複数の呼び名がある。日本ではチベット高気圧(Tibetan High)として知られており、夏季の日本の天候において重要な指標の一つである。他に南アジア高気圧(South Asian High)と呼ばれることもある。対流圏・成層圏間の物質循環に関する研究ではアジアモンスーン高気圧(Asian Monsoon Anticyclone)と呼ばれることが多い(1)。本稿ではこの呼称を用いる。

図1 2011-2016年夏季平均の850hPa・100hPaジオポテンシャル高度および降水量
この高気圧はアジアモンスーンの対流活動に伴い、雲の形成によって放出される潜熱を主な熱源として駆動されている(2)。夏季のアジアモンスーンは世界各地のモンスーンのなかでも最も大規模で激しい降水を南アジアから東南アジアにもたらす。その降水とともに放出される熱は、地表付近にはモンスーントラフと呼ばれる低圧部を形成し、上空では逆に水平発散と高気圧性の循環を形成する(3)。このために、モンスーンの降水が続く夏季の間にわたって上空の高気圧が維持される。
図2 高気圧形成の模式図 (Dethof et al., 1999 Fig.1)

アジアモンスーン高気圧は地球大気に存在する最も大きな渦の一つである。同様に大きなものとしては、南極と北極上空の成層圏に形成される極渦がある。極渦は冬から春にかけてその内側にオゾン濃度の低い空気を捕捉し、オゾンホールを維持する働きをしている。アジアモンスーン高気圧と比べると、極渦は低気圧性であり極夜の放射冷却によって形成される点は異なっているが、惑星規模の大きな渦であるという点と、内外で異なる化学的性質を持った空気を隔てる障壁として働くという点が共通している。


図3 観測衛星AURA MLSによるオゾン濃度 (左)アジア上空 370K等温位面 (右)南極上空 500K等温位面

高気圧の変動

高気圧の変動は各地域の気候に大きな影響を及ぼす。まず年々変動、すなわち各年における夏季全体で平均した高気圧の強さは、その夏の天候を特徴づける指標になる。日本の長期予報においてもチベット高気圧の強さは夏の猛暑の可能性の指標として注目される要素のうちの一つである。

また、高気圧は数日から数週間の短期的な変動も非常に活発である。日々の天気図で高気圧を観察すると、その強さ、位置や形状がつねに大きく変化し続けている。高気圧の一時的な位置や強さの状態は、各地域での風や降水の変動の特徴に大きく影響する。特によく見られるのが高気圧の東西方向の移動であり、高気圧中心の位置がチベット付近にある状態(Tibetan mode)と、イランなど西アジア付近にある状態(Iranian mode)の間の移り変わりとして捉えることができる。

図4 2016年夏季 異なる日の100hPaジオポテンシャル高度

対流圏・成層圏間の物質輸送における重要性

渦位を用いて、高気圧を渦として捉える見方をすると、 圏界面付近の高度において高気圧は内側と外側の異なる性質の空気の境界であるとみなすこともできる。 このような見方は、対流圏と成層圏との間の物質輸送・混合を研究する上で有用である。

対流圏とその上に位置する成層圏は、対流圏界面をへだてて大きく力学的・化学的性質が異なっている。 それは、両者が互いにあまり混ざりあわないことを意味している。対流圏由来の化学物質が成層圏に到達する経路は大気中でごく限られている。 しかし、そのように輸送される物質は成層圏で強い温室効果気体として働く水蒸気や、オゾンの化学反応に関わる人為的な物質などを含んでいる。 物質循環の経路に関わる物理的な過程を理解することは、将来の大気化学的な長期変動や年々変動を適切に予測する上でも重要である。

アジアモンスーンの季節内変動は、対流圏と成層圏の空気が混ざり合う重要な経路の一つであるとみなされている(4)。 高気圧性の渦が大きく変形するときはそれに伴って乱流による高気圧内外の混合が強まる。 また、高気圧の一部が分裂して、元の渦を離れて東西方向に遠くまで運ばれる現象が時々起こる。 これはアジア由来の空気が北米やヨーロッパ上空に1~2週間以内に到達する経路となりうる。このような渦の変形や分裂を伴うような変動をどのように客観的に特徴づけ、どのように理解するかは重要な研究課題である。

2次元力学モデルによる自発的変動の説明

Amemiya and Sato (2018, JAS)では、単純化した2次元力学モデルを用いて、 渦の分裂を含む高気圧の変動の空間的特徴の形成の理論的な説明を試みた。

高気圧が対流活動により熱的に駆動されていることは、長期平均的なメカニズムとしては確かである。しかし、高気圧の季節内変動を駆動するメカニズムは同じとは限らない。より短い時間幅の現象では、同時に働いている別のメカニズムが相対的により重要となることがある。季節内変動のメカニズムについては、

  1. 高気圧の変動も対流活動の変動に応答している
  2. 高気圧の変動はそれ自身の内在的なもので、対流活動が時間的に一定であっても自発的に発生しうる

これら2つの異なる説が議論されてきた(5)。なおこれらは排他的ではなく、両方とも成り立つ状況もありうる。

Amemiya and Sato (2018)では上記(2)の立場をとり、時間的に一定の熱源を与えたモデルを用いて、自発的に形成される高気圧の変動の特徴を調べた。

過去研究で用いられたβ面浅水系モデルに、亜熱帯ジェットに伴う圏界面の緯度方向の高さの違いに対応する変数を考慮することで、より複雑な渦の変動を再現することができ、現実に近い空間的構造をとりうることを示した。理想的なモデルに基づいて、高気圧の変動の自発的な形成の可能性を従来のモデルより現実と整合性の高い形で提示した。

図5 2次元モデルにより再現した高気圧の自発的変動(Amemiya and Sato 2018, Fig11)
色:浅水系の渦位 コンター:高度偏差 右図はyの関数として与えた等価深度

ただし、上記のメカニズムのうち(2)が現実の高気圧の定性的構造と矛盾なく起こり得ることを示したにとどまり、現象を理解するために利用できる一つの描像を提示したまでである。(1)と(2)のいずれが実際の現象を支配しているかを示すためには、定量的な解析が必要である。実際の高気圧は対流の変動やジェットの変動など、様々な他の要素の影響のうちにあり、それらの因果関係や、相対的な重要性については、現在もさまざまな研究が重ねられている。

  1. 注目する地域の違いのほかに、等圧線の極大としての見方(High)と渦としての見方(Anticyclone)の違いを反映していると思われる。 対流圏・成層圏の物質輸送を考える際は物質境界としての渦の役割が重要であり、渦位を用いた解析が多用されることが、 Anticycloneと呼ばれることが多い背景にあると考えられる。日本語ではいずれも「高気圧」と訳すことしかできないのは不便な点である。
  2. 実際にはヒマラヤ山脈やチベット高原の存在も、直接的にまたは下層のアジアモンスーンの循環の強さを通して間接的に重要な効果を及ぼしているが、上空の高気圧の形成自体は強い熱源だけあれば説明できる。
  3. 渦位保存、または渦管の伸縮を通して説明される。
  4. 例えばRandel et al., 2010
  5. 1については数多くの解析があるが例えばGarny and Randel, 2013)、2はHsu and Plumb (2000)。Amemiya and Sato (2018)は後者のモデルの拡張である。